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お知らせ

美宴会の皆様

室田哲郎氏が逝去されたとの連絡が、安全センターの松田 洋氏《義弟》からごさいました。
氏は出身地の愛知県刈谷市に帰省中でしたが、心臓疾患のため、12月30日逝去され、
ご葬儀は31日に執り行われたとのことです。
氏は安全センターを退職後、三菱化成工業㈱に入社、田辺三菱製薬に勤務中で、今年
3月に退職し、刈谷市に居をかまえられる予定であったとのことでした。

生前に氏と交友のあられた美宴会関係者にお知らせをするとともに、氏のご冥福を
お祈りいたします。

                                             澁谷 徹


  美宴 秋の句会

   美宴  秋の句会

    兼題:秋の雲

 主宰の講評です。

 とにかく俳句を作ることに挑戦いただき、ありがとうございました。俳句には絶対はなく、それぞれ個性があっていいと思います。ただ、初心のうちは五・七・五のリズムと『季語』を入れることは忘れないでください。今回投句されなかった方も気軽に出してください。俳句は『座の文学』ですから。

1.若くして 逝く人送る 秋の雲  

 出来ている句ですが、やや「月並み」というところでしょうか。

 2.知らぬ間に空を埋めたる鰯雲  

 小句です。「いつの間に空埋めつくしたる鰯雲」が「春野」に採られました。

3.わが妻の 変わらぬ若さ 秋遍路   

「わが妻」と「秋遍路」の関係がいささか不明です。「遍路過ぐ」としてはいかがでしょう。

4.鱗雲云ひたきことの二つ三つ  

小句です。云うことはありあません。

5.秋の雲 柿の実 栗の実 葡萄の実  

俳句は五・七・五が基本です。まずそのリズムを守りましょう。

 6.秋雲を二つに裂きて湾の橋  

小句です。吟行会での横浜のベイブリッジを見て作りました。少しオーバーでしょうか?

7.秋空に白きビル群競ひ立ち  

小句です。吟行会での東京の街ですが、目下推敲中です。

8.寅さんの革のトランク初時雨  

 小句です。吟行会で柴又で寅さんの像を見て作りました。「初時雨」はこれから旅に出る感じを詠んでみたのですが・・・。

9.秋の雲 今朝出雲より戻りたれば  

 神無月で神様が 「出雲」に出張して帰ってきたのでしょうか?「戻りたれば」が単に報告に終っており、残念です。

10.見上げれば雲ひとつなき 十三夜 

 「十三夜」は『後の月』と言ってさびしいものです。これは「十五夜」を詠んだようです。

 11.千切れ雲 子の過ぎし日を思う 

 「千切れ雲」は季語ではありません。また、「千切れ雲」と「過ぎし日」がつながっていないと思います。

 12.休日の秋の雲間にあかねさし

「休日」は面白いが、報告に終っていますね。もう一ひねりが欲しい。

 13.鱗ぐも 蜘蛛とはちがう そのすがた  

 新感覚の句で、難解な句です。「鱗ぐも」は『鱗雲』のほうがよいでしょう。  

秋の句会の選句締め切りを 12月24日に延期します。

  主宰の講評も参考にして、作者の感想でもかまいませんのでコメントお寄せください。

   良いと思う句を5句選んでコメント欄に番号あるいは、句そのものを記してください。

  またその句へのコメントもお願いします。

  

  コメント欄からよろしくお願いします。

  今回のエントリー句を掲載します。

1.若くして 逝く人送る 秋の雲

2.知らぬ間に空を埋めたる鰯雲

3.わが妻の 変わらぬ若さ 秋遍路 

4.鱗雲云ひたきことの二つ三つ

5.秋の雲 柿の実 栗の実 葡萄の実

6.秋雲を二つに裂きて湾の橋

7.秋空に白きビル群競ひ立ち

8.寅さんの革のトランク初時雨

9.秋の雲 今朝出雲より戻りたれば

10.見上げれば雲ひとつなき 十三夜

11.千切れ雲 子の過ぎし日を思う

12.休日の秋の雲間にあかねさし

13.鱗ぐも 蜘蛛とはちがう そのすがた

コメント

 9.の句は、10月末に季節はずれの台風が上陸し、11月になったとたん秋めいてきたことを、神無月で神々が出雲にでかけられていたのがお戻りになる姿のように思われたのでできた句です。講評にあるように素直な感動というより、少し「作った」句であるという感は否めないでしょうね。

   句会は初めての経験でしたのでもう少し、たくさん作っていいものを送るようにしてみようと思い  ました。   

 

   今回は第1回ということで寄せられた句も選句のコメントも限られてしまいました。句は送ったものがいろいろ講評されるとうれしいものだと思いますのでぜひ皆様も選句とその句に対するコメントをお願いします。来年はまた新たな兼題で句会を開きたいと思いますのでぜひご参加ください。

    
      
 


ネット句会 美宴  

コラムで 美宴を開催していきます。  

 秋の句会 :  兼題:秋の雲 2934455korosuke.jpg

 模範句


     つながれし巨船のあくび鰯雲 〈氷川丸〉

     北国の友の便りやうろこ雲

      単線の鉄橋錆びて鱗雲 〈大糸線〉

     鰯雲少年の日の田舎道

     山顛に一本のぶな鱗雲 〈丹沢)

 

   投稿締め切りは11月23日です。

       若くして 逝く人送る しらす雲 

 多くの俳句が集まりよかったですね。12日からタイのアジア環境変異学会に参加しますので、わたしの選のをお送りします。皆様も俳句の楽しさを味わってください。

1.若くして 逝く人送る 秋の雲

3.わが妻の 変わらぬ若さ 秋遍路 

10.見上げれば雲ひとつなき 十三夜

12.休日の秋の雲間にあかねさし

13.鱗ぐも 蜘蛛とはちがう そのすがた

   


by 枕流 (2010-11-27 08:01) 

       


いよいよ句会

インターネット句会「美宴」のご案内 

 このたび「美宴会」では、インターネット句会を開催することとなりました。参加資格はこのホームページをご覧になっている方で、俳句にご興味をお持ちの方ならばどなたでもかまいません。

この句会のルール(1)句会は年5回として、それぞれ初春、春、夏、秋、冬の句3句以内を締め切り日までに提出する。季題は各季ごとに出題されますが、自由題でもかまいません。

(2)ネット上のコメント欄(本文記事の最後に nice(0),コメント (1)、トラックバック(0)などのようにあるコメントのところをクリックするとコメント欄が開きます)それぞれが期日までに投句します。ご自分のペンネームを必ずつけてください。(投稿者の本名その他はこちらに通知されません。)管理者は内容を確認して、不適切な内容でなければそのままこれを順不同で掲載します。

(3)閲覧者(投句しなかった方も選句の権利があるものとします)は、その中の自分の句以外でよいと思った句を、5句選句し○をつける。出来るだけ感想などをつけて、締切日までに送信します。

4)集まった選句は、管理者が集計し掲載します。 

このようにして、句会を繰り返してゆきます。「やとわれ主宰」としてとりあえず澁谷 徹が務めさせて頂きます。 以上ですが、俳句に経験のない方に、主宰から俳句を作る基本を述べさせていただきます。 

1)準備するもの  

 筆記用具:紙と鉛筆。送信用パソコン。歳時記:少し値が張りますが、これから俳句を続けて行こうという方は1冊買って置かれることをお勧めします。歳時記にはいろいろありますが、角川書店の文庫本で、四季および初春がそれぞれ別冊になったものが、吟行会などの携帯には便利です。

頭脳:これがないと俳句は作れません。出来るだけ柔らかい頭がよろしいのですが、固い場合は俳句を作って柔らかくしましょう。

時間:思ったより時間はかかりません。いい俳句は瞬時にひらめくと言われている位です。 これだけが揃えば、とりあえず俳句を作ること出来ます。

(2)句作の留意点

1)季語    意外に難しいものですが、これが入ったほうが俳句の情景は広がります。季語は1句に一つだけ用います。2つある句(季重なり)あるいは入っていない句(無季)は出来るだけ避けましょう。また、「つきすぎ」や「つかない」季語を用いることがよくあります。しかし、これは感性ですから、句作しながら身につきます。主宰もまだまだだと思っています。 

2)5・7・5(上5・中7・下5)のリズム    これは必ずしも守る必要はありません。しかし初めのうちは「中7」だけは守ったほうがよいでしょう。また、字足らず、字余りや句またがりはそれほど気にすることはないと思います。日本人には5・7・5のリズムが遺伝子に刷り込まれているようですので、思っておられる以上に簡単に俳句は作れるものです。

3)かな使い    「歴史的かな使い」と「現代かな使い」の両方がありますが、どちらで俳句を作っても結構です。ただし、これらが混在しないようにして下さい。「歴史的かな使い」は辞書をみれば分かりますが、その活用形になるといささか難かしくなります。    

4)切れ字    これが「俳句の生命」と言っても過言ではありません。「や」、「かな」などです。しかし、1句の中で同時に使うことは避けましょう。名詞を上・中・下に並べた「名詞三段切れ」などは避けたほうがよいようです。    

5)一句一唱体と二句二唱体    俳句には「取り合わせの妙」と言う言葉があり、2つの事柄を読み込みとあじわい深い俳句になります。しかしこれはなかなかに難しいことです。初学者はとりあえず一句一唱体からはじめてみましょう    俳句は散文ではなく韻文です。単数なる報告に終ることがないように    しましょう。または自分の感情を表すことではなくは極力さけ、読者がそれを句を読んで感じられる句を作りましょう。 

6)情景    いい俳句は、読んで情景が浮かぶものといわれています。また、幾通りにも情景が浮かぶ俳句が秀句だと言われるようです。またそのために「前書き:○○を偲んで ;など」をつける場合もあります。    

7)選句・鑑賞    他人の俳句を読んで選ぶことも大事なことです。また、名句を鑑賞することも大切です。たいていの新聞には「俳句欄」がありますので、選句された句をじっくりと鑑賞することも勉強になります。  くどくど書いてきましたが、とにかくあまり深く考えないで、楽しみながら、俳句を作りましょう。俳句は「座の文学」だと言われます。とにかく自分の句を投句し、また他人の句を鑑賞し、その感想をぶつけ合いましょう。いつか、名所旧跡を訪ねての「吟行会」が出来れば幸いだと思っています。また、句会の「宴」は仮称ですので、もっと素敵な名前がありましたらご提案下さい。主宰は「歌華」という名前でもよろしいかとも思っています。 俳句は、これから迎える老年期の「呆け防止」の一番簡単でお金もかからない方法だと思います。もっとも主宰が真っ先に呆けるかもしれませんが・・・。                      

               2010111日    澁谷 徹

 秋の句会の兼題を「秋の雲」とさせていただきます。これには「鰯雲」、「羊雲」、「鯖雲」、「鱗雲」でも結構です。
締め切りは11月23日
とし、それまでの句を一覧表示いたします。 その後は
選句締め切り12月12日として皆さんからのコメントを募集します。

 ではよろしくお願いいたします。奮ってご応募ください。


澁徹語録 第8回

澁徹語録    第8回  「遺伝学会」 
  9月に札幌での「日本遺伝学会」に、何年振りかで出席した。私にとってはこの学会はなつかしい学会である。始めて参加したのは、広島での学会で、もう40年以上前になる。初めてこの学会で自分の実験データを発表したが、すごく緊張したことを覚えている。遺伝研の黒田先生からご質問を受けたが、これがご縁で、その後、遺伝研に特別研究生として内地留学することが出来た。

 1968年には東京で国際遺伝学会が開かれ、それに参加した。この学会では、ソ連のチェコスロバキア〈いずれも当時〉侵攻が起こり、科学者達が、祖国のために学会途中で帰国したことに感銘した。学会もこれを支持し、声明を出したと記憶している。以前から、ソ連では「ルイセンコ遺伝学」が政権と結びついた権力を持っており、「正統遺伝学者」を弾圧していたという背景があった。

 大学院では名古屋大学農学部の「動物遺伝学・育種学」の研究室に入ったが、そこでの研究テーマのほとんどが「遺伝子分析」であるのは不満であった。そのため、「遺伝学」と「発生学」とを兼ねた「発生遺伝学」を研究テーマに選んだ。当時はまだ「遺伝学」と「発生学」は対立した研究分野であった。しかし、「遺伝学」が、それぞれの遺伝子の構造やその機能の解明において格段の進歩を遂げたから。そのため、「発生学」はその恩恵を受けて、大いに進歩を遂げた。

 今回、私が今回遺伝学会に参加したのは、「エピジェネテックス」に関してのシンポジウムなどの内容が盛り沢山であったからである。これまでこの学会での主要なテーマは遺伝子の同定、染色体分析、DNA解析、など「ゲノムの構造」に関するものであった。私はこれにはずっと不満であった。生物は種特有のゲノムを持って、世代を超えて伝達されている。それはそれぞれの遺伝子が、時間的・空間的に正確に発現されて発生現象や生命機能を果たすためなのである。「遺伝子発現」を中心に研究するのが「エピジェネテックス」である。

最近、ある世代で獲得した形質が遺伝する例が植物を中心として確認されつつある。これはある意味では「ルイセンコ遺伝学」の復活である。私は現在、動物の化学物質や内因性の物質による「エピジェネテックス攪乱」に大きな興味を持っている。胎生期に受けた「攪乱」がその個体の一生において、さまざまな疾病として表われ、さらに世代を超えて伝達される例もあることがヒトでも確認されつつある。私はこれを終生の研究テーマとして文献渉猟をしている。
    
    星月夜この惑星に生命継ぐ     徹

澁徹語録 第7回

澁徹語録    第7回   「一週間(井上ひさし)」
 先日、惜しくも亡くなられた井上ひさしの『一週間』を一気に読んだ。とても面白く波乱万丈のストーリーだった。その中を流れているテーマは、戦争否定であり、旧日本軍の戦陣訓の『生きて虜囚の辱めをうけず』のばかばかしさ、敗戦直後の「関東軍」の無責任さ、旧ソビエトのロシア民族優先主義などである。『生きて・・』については、この戦陣訓のために多くの人々が落とさなくても命を失ったのであり、この夏もTVなどで多くの実例が示されていた。

この発案者の東条英機は終戦後、ピストル自殺に失敗し、東京裁判で死刑を執行されているというありさまである。これではブラックユーモアにもならない。この背景には、国際法で「俘虜の取り扱いについての法」があることを旧軍の上層部が理解していなかったか、徹底的に無視したことに原因があるというのだ。何ということだろうか。勝手に戦争を始めておいて、これらの国際法さえ理解していなかったことになる。逆にこのために連合国側の俘虜に対する取り扱いも過酷となり、その結果多くのBC級戦争戦犯が処刑されている。

「関東軍」もひどいものである。満州で一般の日本人を放置し敗走したのだ。ソビエトの収容所においても、日本軍の階級体制がそのまま温存され、士官連中が下級兵を酷使し、配分された食料まで奪っていたという事実には驚かされた。この方法を日本人捕虜の管理に用いたソビエト赤軍の責任も大きい。そのため、収容兵の死亡率は下級兵がずっと高かったという事実には戦慄さえ覚える。どんな状況になっても弱いものが損をするというのは真実であるらしい。

この小説の柱は、レーニンが少数民族の下層階級の出身であるとの手紙の行方をめぐる出来事についてである。この点では手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を思い出させる。今でもロシアと周辺の民族とはチェチェンを始めとして、多くの民族対立があるようだ。それらは歴史的にも過去から現在に至るまで続いており、民族、宗教という人間存在の根底の問題の深さを感じる。

主人公の小松の立場は点々とするが、最後は北シベリアの劣悪な収容所移送されることでこのストーリーは1週間で完結する。小松は戦前の共産党員なのだが、その秘密活動などもよく書けていると思う。この小説からは井上ひさしの『戦争反対』の立場がよく理解される。彼の遺言として一読をお勧めしたい。
    
         シベリアの凍れる大地友を葬う     徹

澁徹語録第6回

澁徹語録    第6回   「ワールドカップ」
  日本中がサッカーのワールドカップ (WC) に沸いていたので、私も眠い目をこすりながら多くの試合をテレビ観戦した。世界ランキング45位の日本が決勝トーナメントに勝ちあがったのは正直に言って番狂わせなのだろう。誰かが「サッカーボールが丸い限り勝負はどちらにも転ぶ」という名言を吐いたそうだが、日本はやはりベスト16が限度だったのだろう。それにしても試合前とトーナメントに進んだ後の監督や選手への評価がこれほどまでに違ったのには驚いた。

それにしても、サッカーと言うのは好くわからないスポーツである。人には手と言う立派な道具があるのに、キーパー以外はそれを使えない。オフサイドというややこしいルールがあって、すぐに反則を取られてしまう。これについては誤審もずいぶんあったようだ。こんなルールはなくしてしまったらどうだろうか?放ったシュートのうち、ゴールになるのは10の1ぐらいしかない様なので、ゴールの枠も一回り大きくしたらどうだろうか?得点は何でも1点なので、1発逆転と言うことはありえない。時間が来ればその場で試合終了となる。

ここまで書いてみると、ラグビーがこの対極にあることに気がついた。私はやっぱりラグビーの方が好きだ。ラグビーのWCは来年フランスであり、日本はアジア代表で出場する。戦跡はこれまでに1勝したのみであるが、現在世界ランキングの13位にあり、最近上位国のフィージー及びサモアにテストマッチで勝っている。さらには2019年には日本で始めてWCが開催される予定である。

ラグビーの日本代表には日本国籍を持っていない選手が数名いる。活動しているクラブが基準となるので、こういうことも可能なのだ。そういえば、かって、南アフリカでのラグビーのWCで、日本はニュージーランドに124対7と言う歴史的な大差をつけられて負けている。この敗戦でラグビー人気は一挙にしぼんでしまったのはまったくもって残念である。ラグビーでは、番狂わせがまずありえず、試合の経過とともに得点差はどんどん広がってゆくのみである。

私の主観であるが、サッカーにはとっさの反射神経が大いに必要であり、どうやら他人と異なった行動を取る人を異端視する日本文化には合わないと思っている。ただ今回インタビューで「応援してくれなかった人にも・・」というコメントを出した、本田選手の発言は面白いと思った。こういう選手がもっと増えると、世界での日本サッカーの躍進が始まるのかも知れない

             寒月に弧描くシュート突き抜けり     徹

第4回美宴会

   第4回美宴会 
  2010年7月3日(土) 秦野において第4回の美宴会が催されました。参加人数は7名と
少なめでしたが、楽しいひと時を過ごすことが出来て本当に良かったと思います。
 ご参加の皆様ありがとうございました。 富士の写真は会員の力作です。ご鑑賞ください(クリックする
と拡大します)。  
  句会を催す予定ですが話しが弾み、時間切れとなってしまいました。改めましてこのHP上などで
 句会を企画していきたいと考えています。 宜しければ皆様ご参加ください。

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第5回澁徹語録

 澁徹語録    第5回     「沖縄」 
 先日、学会があったので沖縄に行ってきた。学会会場の「沖縄コンベンションセンター」からは普天間基地が近く、そのためか爆音が絶えなかった。学会の合間に嘉手納基地を見てきた。近くの「道の駅」の屋上からは、基地の全貌を見ることが出来た。実に巨大な飛行場であり、周囲は16キロもあり、4000メートルの2本の滑走路と補助の滑走路がそこにあった。大型機がタッチアンドゴーを繰り返し、F15が並んで、すさまじい金属音を発して離陸していった。

 学会が終了後、「海軍塹壕跡」、「ひめゆりの塔」や「平和の碑」などを観光バスでめぐった。海軍塹壕跡には、大田司令官の「沖縄県民に謝し奉る。」という文章が残されていた。彼らは米軍との戦闘に破れ、最後は集団自決している。陸軍の牛島指令長官は自決したが、部下には「最後まで戦え」と厳命したそうだ。一方、米軍の最高司令官は戦死したということである。両軍の司令官の三者三様の死に様から、それぞれの考え方や責任の取り方の違いがよくわかる。

 「ひめゆり部隊」は、深い洞窟の中に作られた野戦病院の中に、沖縄師範や高女の学生が動員され、そのほとんどは戦争が終わっても生還できなかった。
敗戦が濃厚になると彼女らの隊は解散命令を受けた。戦争教育を骨の髄まで叩き込まれていたので、米軍に投降する人は少なく、自決した人も多かったという。ここでも、指導者の責任の問題と、戦時教育のおろかさを痛感した。これらの事実を説明していた「語り部」の一人は今年83才になられたという。

 沖縄の戦後はまだ終わっていなくて、今でもまるで戦時下体制にあるように思われる。ここでは歳月が戦争中からずっと止まっているかのようである。沖縄に犠牲を背負わせて、内地が経済的に繁栄を謳歌してきたのに、相変わらず沖縄に犠牲を強いているのだ。どこかでバスから「海兵隊」の大きな基地も見えたが、兵力が「抑止力」になるという考え方は時代遅れではないのだろうか?

今度の沖縄旅行での唯一の救いは、那覇の「美濃作」の「月桃そば」を食べることが出来たことである。月桃とは沖縄に生えている植物である。ここでは「沖縄そば」ではなく、正統の「日本蕎麦」を食べることが出来た。ご主人は福島の出身で、調理の仕事で沖縄に渡ってきて、この地でぜひ「日本蕎麦」を作ってみようと決心されたそうである。気候の関係でずいぶん苦労をされたと言う。店名の「美濃作」は彼の先祖のルーツが岐阜県だったことに因むという。
     
       自決せし兵等の壕や蝉時雨     徹

もうすぐ 第4回美宴会 

  美宴会会員の皆様、        もうすぐ7月3日の第4回美宴会です。 参加をご連絡してくれたかたがたありがとうございます。    二の足を踏んでおられる方、懐かしい写真をみると参加したくなるのではと思い    これまでの写真を掲載します。お忙しいとは存じますが、ぜひ          7月3日 17:30 秦野 南口 「しゃかりき」にきてください。         貴重な情報交換もあります!           幹事 297572529756822975679297579329302452932771

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